清涼対談・戦時下に育まれた教養と文化

清涼対談・戦時下に育まれた教養と文化
村内FA会長

村内道昌

聞く人
長島貴好(本紙社長)

軍事工場で化学・工学など選抜教育を受ける

長島 村内さんのユニークさは企業としてのDNAに文化性、芸術性があることです。バルビゾン派の美術館もそれに繋がる設立だったと思います。さて8月20日から31日にかけてサロン樫の木で社員文化祭を開いています。この企画は文化事業担当の小野保さんが村内さんに持ち込んだと聞きましたが。その企画主旨はなんでしょう。

村内 いままでにこのサロンで255回もの催事を開いてきました。ここは無料で貸し出す会場です。この会場は非常に八王子の皆さんに人気で、向こう1年間以上、申し込みが決まっているんですね。ところが、たまたま8月のこの時期に空いているということで、小野の方から提案を受けたわけです。

村内道昌氏
村内道昌氏

長島 私がかねがね驚いていたのは村内美術館でみたベネチュアの絵画のホールに飾られる木製のゴンドラです。猿が人間みたいに乗っている。あれをみて器用さと技能に驚きました。社員の川村郁夫さんの作品でしたね。もうひとつは親戚、身内の方々の絵画や稼働する大型の客船模型です。企業のDNAにそうしたものがあるんですね。

村内 小野保が8月は暇な時期で、第一回の文化祭と銘打ってやろうかとなったわけです。本当は果たして出展する社員があるか心配でした。しかし、決めたらやるしないのではないかと言ったんです。実際にやってみて皆さんやはり遠慮するんですね。ある人は「20年前の作品なので」と渋るんです。でも私が「20年前ならいい、私などは72年前の中学生の時の生物授業ノートを出そうかと思っている」と話して、その人の作った絵本を出展してもらいました。美術学校を出られていて、いま美術館に勤めている方です。

結果、いろんなものが様々出展されて、隠れた才能というか、各々特徴があって文化祭らしくなりました。20日の初日にパーティーをやったんです。意外と皆喜びましてね、出さなかった人も見にきて、この程度なら俺にもできるとなった(笑)、では第2回もやるかと。そうしたらBMWの外車センターの人も見にきて、「外車センターもやりなさいよ」と話が広がっていったんです。もしかしたらエンジンかなにか作って出す人もいるのではないかと期待しています(笑)。

長島 文化祭は商圏内のお客さんにも見てもらおうというものですか。

村内 それは考えていません。8月の空いた時期にサロンを使うという考えです。毎月3回貸し出すのですが、8月はたまたま空いていたんです。いろんな方々、サークルなどの使用申し込みがあり、この界隈で無料で展覧会が出来るということで、先々まで申し込みがつまっています。地域の文化の向上に貢献できると思ってやっているわけです。

生物の授業ノート・蛙の解剖
生物の授業ノート・蛙の解剖(中学二年時)

知らずに染みたバルビゾン派の画風

長島 村内さんの中学2年時の蛙の解剖図ノートを拝見しましたが、美術館や社員の皆さんの多様な分野の玄人はだしの趣味、まことに不思議な企業風土を感じました。

村内 私がたった1枚描いた油絵を改めて見て、約50年近い以前のものですが、なにか美術館を後に造る縁のようなものを感じます。また、学生のときに書いた絵手紙は戦線の兵隊さんに向けた慰問袋に入れた軍事郵便みたいなもので、裏が絵で表を手紙にしたものです。絵は田舎の風景なのですが、どうみてもバルビゾン派の絵なんですね。ミレーやコローを全く知らないうちに、やはり因縁というか、なにか繋がっていくものだなと思っています。

初物の油絵
初物の油絵

中学2年の1学期くらいの時で、昭和19年の戦争末期です。生物の解剖ノートも同じ時期でした。これも歴史の証人みたいなものですが、生物の授業は1学期で終わっているんです。2学期からは学徒動員で火薬工場にいきました。稲城に火薬工廠があって、AからC組まで分かれていました。D、Eクラスは立川の航空工廠で飛行機を作っていましたね。この工場は爆撃を喰いました。

火工廠は3工場で火薬を作っていたんですが、20人ばかりの学徒が抜擢されて、君たちは検査係だと命じられたんですね。他の人は3工場で黄、黒の2色の火薬を作っていたんです。で、検査係は丘の上に建物があり、そこにいったら学生はここに集まれと。そのほかは軍属の職人さんです。一番上は所長で大学出の中尉か大尉でした。その所長が「学生の本分は勉強にあり」と言うんです。こうして学徒動員で工場に来てくれたけど、日本の将来の為にも本当は勉強しなければだめだと。

それで午前中は俺が教えてやる、午後は工場で働いてくれと、毎日教えてくれたんです。物理、化学、代数、幾何学と来る日も来る日も終戦まで毎日教えてくれました。

長島 末期の本土空襲下でよくできましたね。

村内 1年間、その時のノートは大変なものです。元素から方程式、爆薬の作り方からなにから、みっちりと教えてもらいました。丁度、一冊の化学ノートです。14歳から15歳迄です。素晴らしい先生で、そんな軍人がいたんです。私が鼻炎にいまでも悩むのは、火工廠の時に火薬の粉末でやられたものです。

また中学の学年主任で美術の絵の先生にすごく怒られたことがありました。リベラルな人でしたが、その先生が昼休みに本を読んでいたら、村内何を読んでいるんだと。で、吉川英治の三国志ですと言ったら、こんな非常時に、そんな三文文学を読む奴があるかとすごく怒った。リベラルな先生が怒り、一方、軍人の学徒動員の所長は「学生の本分は勉強にあり」と毎日教えてくれた。その化学のノートだけ残っているんです。皆に見せるとびっくりする。今回はそのノートの生物授業のところを文化祭に出したんです。で、学校を卒業して親父と木工場を始めるんですね。昭和23年です。製材、木工、家具と作り、家具店を始めたわけです。その頃、みんなでサークルを作ろうと、絵の勉強を週2回か1回、セミプロみたいな絵の先生を呼んで始めたんです。デッサン、水彩、油絵とやって最初に書いたのが、今回出展した「初」の静物画です。

長島 清涼対談が時代の証人対談になりました(笑)。初の文化祭を拝見できて感銘しました。


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