2017年 新春特別インタビュー:川崎敦將 氏、川崎敦祥 氏

川崎敦將 氏
  • 川崎美術館館長太陽家具百貨店会長

    川崎敦將

  • 太陽家具百貨店社長

    川崎敦祥

聞く人
長島貴好(本紙社長)

川崎美術館が宇部の芸術文化担う

長島 お忙しいときに宇部に伺いました。新年のインタビューで一昨年10月1日にオープンした川崎美術館のことをお話しいただき、業界の皆さんにご紹介すべく川崎さんを訪ねました。

美術館開設に至る絵画油絵や彫刻、美術工芸品、書などはどうしたきっかけで蒐集の世界に入られたのでしょうか。

川崎会長 私が27歳頃からでしょうか。木工所に務めて親方に独立を許されてから5、6年経った頃ですね。自立した当初はとにかく食わなければいけないから夢中で頑張り、絵どころではありませんでした。ところが多少余裕がもてて、財産三分割ですか現金、不動産、動産という考え方から、絵画のそれもなるべく立派なものをと、芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者などの作品をぽつぽつと集めはじめたんです。

長島 絵画をはじめ美術品にもともと興味があったとか、好きだったということもあったでしょうね。

川崎会長 それで絵画が60点くらい増えてきて、そのころから慌てたんです。これ以上増やしたら大変だ。まず管理の仕方が分かりません。油絵の保存など素人には皆目わからない。古くなり、傷にもなる。3年も放っておくと絵が変わってくるんですよ。

また保管場所の問題、温湿度や保全の管理の問題と専門的な知識や、対応に迫られたわけです。それでその道の専門の人に聞きました。また、絵だけならいいが額も要ります。嵩張って場所が必要になってくる。そこでもう蒐集はやめたと宣言するわけです。でも変わった作品が出たと聞くとじっとしておられない(笑)。またでかけて購入してくる、ということでとうとう今日へきてしましました。

長島 まあいい意味での病気でしょうか(笑)。

川崎会長 で、売ることも交換もしないものだから、気が付いたら30年間余りの間に300点以上になってしまったんです。

川崎敦將会長
川崎敦將会長

長島 別に投資とか、将来の資産価値という考えではなかった。

川崎会長 それが第一なら所蔵するもののうち、すでに売却していたでしょうね。時間があれば私の自宅にきていただきたいのですが、絵の倉庫が三つほどあるんです。そこへ収蔵しています。これらはまだ美術館には展示していません。初物ばかりです。

絵画・書・美術工芸品約800点

長島 全部でどのくらいの所蔵ですか。

川崎会長 だいだい800点ほどでしょうか。もちろん彫刻や書、屏風、など含めてですが。63年間に集めたものです。

長島 不思議なのはいわゆるコレクターといわれる人たちはある種の括りというか、なになに派とか特定の画家を蒐集しますね。川崎さんにはそれがないようですが。

川崎会長 何でも集めて有名なら何でも買う(笑)。しかし、基準はありますよ。どの分野であれ、特に絵画では先に言いましたように文化勲章受章者、文化功労者、芸術院会員などいわゆる巨匠の作品です。彫刻にしても北村西望はじめ大家といわれる人達を購う。また、私の宝物というか、指針になっているのは、毎年発刊される「美術年鑑」です。

もう50冊以上になりますが、この年鑑であらゆる分野の美術品の年々の作品評価がランクづけられています。号当たりの相場とか、いわゆる時点での評価ですね。

洋画、日本画、また年代別、作品の多可、他に版画、彫刻、屏風絵、なんでも美術品なら掲載しています。絵画の会派別の区分でも掲載しているし、平成の現代作家の物も載せています。この年鑑が私の宝物なんです。ここに掲載されたものでないと私は手を出しません。また、ここに日展とかの入選作が入っています。現代洋画家などもずらっと並んでいます。無会派の有名な洋画家も掲載している。とにかく著名な作家、巨匠は皆載っています。

長島 美術館に話を戻しますが、一昨年10月の川崎美術館は、いままで話されてきた所蔵する作品約800点を順次展示するために開館されたものですね。私も披露にお邪魔して大変その内容に驚かされました。

素人の私でも知り、好きな日本画の速水御舟、横山大観、上村松園、富岡鉄斎、川合玉堂、小林古径、奥村土牛ほかずらりと展示、洋画では岸田劉生、東山魁夷、平山郁夫、藤田嗣治、東郷青児ほか、版画の棟方志功はフアンです。なお、中川一政画伯には若い頃所属した短歌結社「香蘭」の会誌の表紙を主催の村野次郎先生の友人として書いてもらっていたんです。

川崎会長 美術館は元太陽家具本店跡地で、その1、2階をギャラリー、美術館として延べ床面積約1000㎡を会社から、私が借りて家賃を払っています。宇部市も市政100周年を迎えて、市に美術館、博物館といった文化資産がない。なんとか活性化に協力を願えないかと久保田市長から言われてきていました。本来なら家具屋の親父がやることじゃないですよ(笑)。

そもそも20年前から画廊をしようかと考えてきていたんです。それが画廊をやると蒐集作品を売ってしまうこともある。それなら美術館がいいのではないか。宇部市も望んでいるし、市の文化都市創り、メセナ、観光客誘致にもなるだろう。市長も彫刻の街造りと並んで市の美術文化の発信になる、と喜んでくれています。

長島 宇部はもとより、山口県は昔の長州として、そういう風土もありそうですね。まず尊敬する吉田松陰直筆の書には感動しました。

川崎会長 伊藤博文から山縣有朋、品川弥次郎までありますし、他では勝海舟、福沢諭吉などもあって必ずしも長州ではありませんが、現代画家などを含めて、やはり山口県の生んだ芸術家は気にして所蔵してきています。

長島 話を伺っていて、ただ驚き入るばかりですが、青木繁画伯とか多くの人気作家の絵は入手するのが難しいでしょう。誰しもが求めますから。

川崎会長 相手のいることですから大変です。原品はひとつしかありませんから。リトグラフは刷れば幾らでもあります。でも原品はひとつです。それを買わないと駄目なんですね。しかも鑑定書がないと駄目なんです。

長島 一昨年末「なんでも鑑定団」に青木木米の観音像を出して、1000万円余の値が付きましたね。テレビ放映など大変話題になりました。

川崎会長 美術館事態もテレビ放映がありましたが、鑑定団は地元でも大変騒がれました。とにかく宇部は宇部興産で有名ですが、同社をはじめそうした美術館を持つことなくいまにきているんですね。

長島 そうですか。それで宇部興産の社長さんが美術館の披露開館に来られたわけですね。また、絵の問題になりますが、所蔵の作品は自然を描いたものが多く、なかには人物画もあるけど、どちらかというと風景画など多いように見受けました。棟方志功の版画で風景作品があり、興味深く拝見しました。

川崎会長 先ほど話しましたようにまずは画廊を考えたんですね。家具は1000年後残らないが絵画なら残る。それを街興しに活用をということで始めたことです。作品の傾向は風景でも人物でもいいのですが、妻の巴那子が好んで風景画や花などを描き、東京・上野の森美館で入選した作品もギャラリーに飾ってあります。見ていて心が落ち着いたり、洗われたりするのはそうした自然描写、風景画ですね。もとより巨匠の創造価値とは違う世界の話ですが。

川崎美術館
川崎美術館

文化勲章、功労賞など巨匠作品を主に

長島 財界人で功なり名を遂げると昔の人は美術館を創りましたね。大原聡一郎、山崎種三各氏が著名で、大昭和製紙の斎藤会長は棺桶に名画を入れろと言ったとかで顰蹙を買いました。

川崎会長 山種美術館を昨年10月に訪ねましたが、小林古径の収集力と、平日でも数百人が入る都市の一等地の構えには感心しました。入場者がびっしりで、日本一だと思いました。大概は美術館は借り物の絵なんですが、山種は全て所蔵すると書いていました。

長島 話は変わりますが、事業面でいうと企業が大きくなっていくには「私」の算盤は欠かせませんね。しかし、美術館もそうだけど、業界や一般社会という「公」の部分で川崎さんには生き様を教えられてきました。

村内道昌さんは八王子を本拠に社会に尽くし、似鳥昭雄さんも震災への多額の寄付、ニトリ奨学金の留学生援助、小樽芸術村や夕張への桜の植樹など大変な社会貢献をしています。これも「公」の行動ですが。因縁、宿縁が皆さん絡まれて、結局は地域貢献、社会貢献に尽くされている、そうしたものを感じます。

川崎会長 私は見習い時代を含めて、木工所から始まり家具一筋に満75年です。当時、職業訓練所でいまは都道府県立高等技術学校となっていますが、そこで学んでいて教練を受け、軍事工場などへも行きました。だから戦争の経験もあるわけです。そうした人生をただでさえ生きているのが大変なのに、家具一筋に75年です。昭和15年から。そりゃ疲れもするし飽きますよ(笑)。

村内さんも家具は村内八王子と有名になり、私も昭和23年頃から八王子に伺ってきました。まだ土間で木工機械を使って、父親の万助さんと道昌さんが木工をやり、販売をしていた頃です。戦後、東京へ行くと八王子まで足を運んだものです。当時からいいものを作り、いい物を扱い、あんな辺鄙なとこで、どうして、あんなに売れるのかという商売をしていましたね。

長島 私が訪ねたのは昭和38年頃ですが、畑の中の道といった記憶があります。会長の奥さんがお茶を出してくれましてね。

川崎会長 木工新聞の編集長時代ですね。それから業界では初めてラジオ、テレビとよく宣伝して、業界では先導的な立場でした。それだけに我々も学ぶものが多かったんです。

長島 美術館に戻りますが、展示作品は川崎さんの個性が出た選択ですね。一般的に言って巨匠の作品でもありきたりではない。概念を越えた作品で30分でも見ていて飽きません。

川崎会長 どんな作品でも名品は一点です。これが全国のどこかにあるんですね。皇居か博物館か美術館、個人の収蔵品になってるかです。あるけど出てこない。それで世に出そうと思って始めたのが「なんでも鑑定団」と聞きました。私もはじめは竹内栖鳳の絵画を出そうと思ったのですが、この関連の絵が皇居にあったと聞き、畏れ多いので急遽、青木木米の観音像に切り替えたんです。

川崎館長の人生が生んだ究極の館

長島 さて、川崎社長が見えました。今日は新年号のインタビューに伺いました。家具を離れて川崎美術館、村内美術館の話を新春らしく掲載しようと思ったからです。

川崎社長 それはいい。村内さんは洋画専門ですね。世界に知られた蒐集のバルビゾン派というとコロー、マネーなどですか。

長島 よくご存じですね。クールベの「樫の木」がフランスの文化財になって、村内美術館からフランス政府へ渡りましたが、このクールベが「世界中で3人でも私の絵が分かってくれたらいい」と、頑なに時の権力者の肖像画を描くのを断って亡命したんですね。私もこの言葉に痺れましたが、そうした拘りを村内さんも持って始めた美術館だと思います。社長からみて川崎美術館をどうみていますか。

川崎敦祥社長
川崎敦祥社長

川崎社長 会長の人柄をよく表していると思います。蒐集した作品がそれを反映しています。なんにでも興味を持ち、どんなタイプのものでも所蔵する。一般的にはものを見る時に知らずうちに、こういう方面から集めてみる、勉強してみたいと。そして身に付いたら次にはこういうものをやってみたい。そうしたストーリーがありますね。そういうものは感じられません。そういう意味で広く、深い。

長島 しかし、私が感じたのは川崎会長なりに同じ巨匠の絵画でも、世間に知られた画題ではなく、非常に興味深いのは川崎会長独自の選択眼で作品を蒐集しているように感じました。複眼です。

川崎社長 基本的には日本画が本当は好きなんですね。横山大観、速水御舟などです。そういう静謐なものが好みなんでしょう。洋画は何を選んでいいか難しいから、おそらく名前で、よくいう芸術院会員とか、文化勲章とかの肩書、美術年鑑の評価などで選んできたのではないかとみています。日本画は風景画、生物画など穏やかというか静かなものが多いと思います。

長島 実は私もそれを美術館で実感しました。よく見ておられますね。川崎さんは基本的に日本という国を愛しているんでしょうか。

川崎会長 やはり歴史がモノを言うんですね。洋画は歴史が短い。日本画家が描いで200年か300年でしょう。洋家具も同様です。日本は2000年の歴史があります。

川崎社長 当然、日本画は狩野派も含めて連綿と画法を受け継ぐ人が後の世に伝えて描いてきていますね。洋画といってもバルビゾン派やゴッホ、ミレー、ルノワールほか近世というか19世紀から20世紀へかけてのそういう画家たちです。それがまた日本人には印象深いというか、その前のミケランジェロとかダヴィンチの絵というのは教科書で見ても、身近には見ませんね。今日教科書で見るのは遠くのものであり、偽物の印刷物です。だから歴史は浅いと思います。日本では安土桃山以前でも雪舟の水墨画とか幾つかしかないわけです。

長島 美術談義は深くきりがありません。まだ未練がましいのですが機会を得て伺いたく思います。有り難うございました。


この記事は紙面の一部を抜粋しています

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