【2025新春インタビュー】旭川家具工業協同組合 理事長/カンディハウス 代表取締役会長 藤田哲也 氏 デザインで旭川を世界の文化都市へ

――旭川家具工業協同組合の理事長として業界振興に尽くしておられますが、事業再構築補助金事業が採択され、旭川デザインセンター(以下、ADC)もリニューアルされました。センターの現状と旭川の地域振興にどのような効果を生じているかお聞かせください。

藤田 ちょうど事業再構築補助金のお話をいただいたのが、私が旭川家具工業協同組合の理事長に就任した頃でした。これから旭川の家具をしっかりと世の中にアピールするため、旭川デザインセンター(ADC)をどのようにしていけばよいか私なりに熟考し、そして産業観光やものづくりに対して、一般の方々が非常に興味を持つと同時に、テレビ番組でも工場をメインにした様々な切り口でものづくりを発信していただき、「家具を買いたい人」だけではなく、「地域の将来に向けて」、子ども達や学生さんなど、さまざまな皆さんをも巻き込んでいける施設にしたいと思って取り組んできました。

――ADCをどのように改装・リニューアルされたのでしょうか。

藤田 リニューアル前までは、組合員約40社のうちの約30社が常設展示、ショースペースを設け、家具が必要な方に家具を販売しているというスタイルの施設でした。しかし参考となる産業観光を視察して、ADCにお客様を招き入れるには、やはり「体感型」が必要だと。

我々メーカーは工場を持っているのが強みなのです。そこで工場の視察をしていただく。その後に体感していただくためのワークショップを開いて、木工を経験していただく。そうした体験での気持ちが盛り上がったのち、最後にお土産等を含めた、ある意味ミュージアムショップのような、記念として何かを購入いただく。この3つの要素が絶対に必要だということが分かりました。

では、ADCを拠点にそのような取り組みを行っていこうということで、デザイナーの方々にも参画していただき、倉庫の改装なども全てのプランを立てました。やはり、旭川の歴史、家具の歴史、技術の歴史、デザインの歴史がわからないと、産業観光とは言えないのです。

ADCミュージアム

そのため、産業観光の呼び水とするためのベースとして、旭川デザインセンターの略称「ADC」の名をつけた「ADCミュージアム」をまず設けました。ここには、旭川の100年以上の家具の歴史、30年以上開催し続けている国際家具デザインコンペティション旭川(IFDA)についての解説もしています。

そしてもう一つの「技術」では、2年に一度18年連続で旭川から家具部門で日本代表を輩出してきた世界大会、技能五輪の出場もしっかりと伝えていく環境を作りました。ADCでは、過去のIFDAの入選作もしっかりと展示しています。また、我々旭川地域の企業が過去50年から現在に至るまで各メーカーがデザイン製造してきた椅子も、40脚ほど壁面に並べ、見応えのあるインパクトある展示が一昨年6月にできたと思っています。

ADCの1階には、体感型のワークショップを開催できるスペースの「ADCラボ」を設けました。インテリア雑貨、小物のトレーやスプーン、時計、そしてスツールなどを、40分から1時間ぐらいで製作できる催しを実施しています。

ワークショップを行うことで、旭川周辺で活動している、家具以外のクラフトなどについてもしっかりと展示・PRして、来場者の方々にご購入していただいています。この「ADCセレクション」では、企画展やメーカーのポップアップショップなども開催していて、非常に良い結果が出ています。ADCへの来場者数は前年度の1.6倍でした。

ADCは、今までは「家具を買いに来たい人が見にくる場所」としか思われておらず、すこし近寄りがたい雰囲気がありました。ところが、リニューアルを機に「子どもを一緒に連れて様々な体験ができる、買い物も小物もたくさんある、 旭川の歴史も見ることができる」という施設に生まれ変わったこともあり、市民の方も、何かイベントがあると気軽に来ていただけるようになったのです。

そのため、月1回ADCラボを使い、「月イチ・こっぱマーケット」を開くことにしました。家具の端材や革、布の端材をグラム売りし、それで様々なものづくりをしましょうという取り組みを毎月行っています。 イベントの際には、家具以外のアクセサリー作りをしている方たちにも無償で場所を開放しており、とても賑わいがあります。地域のための場所の一つにしているということもあり、じわじわと広がりを見せている感はあります。

――これまで以上に、地域の人達に旭川家具を主とする産業資源への認知が浸透しつつあるということですね。

藤田 小学校の課外授業も含め、中学校の体験旅行、修学旅行などの予約が入ってきているため、家具を販売していく接客と更に、その対応の方でかなり忙しくなってきている状況です。しかしこのことは、将来にとって非常に大切であると捉えています。旭川はいま「家具の聖地・旭川」といって発信しているのですが、やはり家具を大事にして、 その家具とはどのようなものなのかということについて、デザインや技術などを幅広く伝えていかなければなりません。

――旭川家具産地への期待も高まっているようです。視察に来る自治体も多いのですか。

藤田 先日も福岡県大川市の議員連の方々が5名ほどいらっしゃいました。同じ家具産地として家具関係の動きをきちんと知りたいということで、行政関係の方々がいらっしゃることも多いのです。旭川市は2023年11月に新市庁舎になったのですが、そこに納入された木製家具はほとんど旭川家具で揃えるということで、行政にもバックアップしていただきました。森林環境譲与税をうまく使い、とても立派な市庁舎になりました。

新市庁舎の一番上のフロアは、地元の小学生による家具のデザインコンペを行い、旭川家具の技術で製作をしました。とても素敵なフロアになり、良い企画でした。このような取り組みを進めているため、北海道や、林野庁の関係者の方々の視察も多く、いろいろな意味で広がりを見せています。

――旭川家具工業協同組合の理事構成について、世代的な特徴や変化はありますか。

藤田 産地のそれぞれの企業も世代交代しており、旭川家具工業協同組合では私が理事長として一番歳上で、他の理事は30代から50代です。逆にいうと、今の理事の方達は「箪笥作りで名を馳せていた旭川家具」を、ほぼ知らないという世代なのです。

――旭川は、2015年から「あさひかわデザインウィーク」を開催しはじめ、来年で10年が経とうとしています。それまでの「産地展」から、大きな変化でしたね。

藤田 それまでは、昔から続いていた旭川家具産地展が60年続いていたわけです。しかし、やはり60年が経つと当然世代も変わり、世の中の変化も大きかった。したがって、旭川家具産地展という名称を大きく変え、「あさひかわデザインウィーク」にしたという経緯があります。外部からクリエイティブチームを招聘し広報の強化や、新たなチャレンジとしてインスタレーションの取り組みなど、総合的な企画を手掛ける若い世代・次世代のメンバーが、それをはじめたということは、大きな変化だったと思います。

あさひかわデザインウィークという名称は、「ファニチャー」「家具」という文字は入れずにタイトルをつけようということになりました。こうしたことにより、やはり産地を見る目が違ってきました。デザインウィークに関わるデザイナーや建築家、コーディネーターといった方々などと、 家具だけではない幅広い産業も含めたデザインウィークを創出しようということで、2015年の開始以来順調に来場者が増えてきました。

――その後コロナ禍を経て、また新たなスタイルでの産地展が始まりました。

藤田 コロナ禍が明けてから、あさひかわデザインウィークと家具のイベントを少し切り離そうという動きになりました。旭川市がちょうど、ユネスコのデザイン都市に2019年に登録されたことを契機に、これを活かして、観光、食、農業、建築、土木、金属、菓子、そして当然家具も入れて、様々なものづくりの土壌が旭川という街にはあるという、すべての要素を含めたデザインウィークの発信をしようとコロナ明けからかなり力を入れてきました。デザインウィークの事務局も、それまでは家具組合にあったものをデザイン関連へ移したことと行政のバックアップをいただいたことで、よりうまく機能してきました。
家具展はコロナ禍が明けてから、「Meet up Furniture Asahikawa」という名称に変更し、再び家具は家具で、デザインウィークの9日間中の5日間開催するという流れで、現在に至っています。

デザインが拓く家具産地旭川の未来 旭川デザインウィーク2024

――地域を巻き込んでの取り組みをされています。旭川市はどのような支援・協力をしておられるのでしょうか。

藤田 旭川市のホームページを見ていただくと、旭川市の市勢要覧が載っているのですが、現職の今津寛介市長に交代したすぐ後から、この市勢要覧に旭川家具とデザインの取り組みの歴史を掲載していただくようになりました。やはり旭川市としても、この家具産業とデザインを非常に大事にしている、その意思を出していただいたのです。

今津市長は、当時の市長選の際、行政がどのように協力してデザイン産業文化を育み、効果を生みだせるのかといった点について、私を訪ねてアドバイスを求めてこられたことがありました。私は、IFDAや家具やクラフトを含めた産業での「デザイン経営」の指針が経済産業省や特許庁から出ていますので、「産業全体で取り組めば、非常に効果があると思います」ということを伝えたわけです。また、選挙公約に「デザイン思考での行政改革」という公約も掲げられました。

当選された後、再びアドバイスを求めてこられたので、「外部のデザイナーを入れないと無理です」という話をしました。行政は縦割で物事を決めていっているので「デザインは“横串”を通さないと無理ですよ。旭川市のイメージをブランディングしないと効果がでづらいです」と。

旭川市の方も、ユネスコの創造都市ネットワークを迎え入れるために、あさひかわ創造都市推進協議会という組織を作り、旭川家具工業協同組合の渡辺前理事長がそのトップに就きました。そして、市民も交えて様々なデザインセミナーを開き、著名な方々を呼んだのです。

その中から、KESIKIの石川俊祐さんをCDP(チーフデザインプロデューサー)として迎え入れ、今旭川の総合的なデザインシステムを提供していただいて、旭川は変わろうとしている最中です。市の公用車のデザイン、市長や職員が着るポロシャツなど、いろいろなものをデザインコントロールしています。日本でこのような取り組みをしている都市は無く、世界ではロンドンやノルウェーのオスロなどで進められているようです。都市に関する動きと、市の動きとデザイン、あさひかわデザインウィークの動きがリンクしてきており、それが町おこしにも繋がっている。非常に良い形になってきています。

――市の経済効果にも好影響を与えていそうですね。昨年10月にはユネスコの世界デザイン会議も旭川で開催されました。

藤田 今津市長は、市長に就任されてからすぐに渡辺前理事長と、ブラジルで行われたユネスコのデザイン部門総会に飛んでいかれました。総会は市長本人が行けば5分ほどスピーチができるようで、そのスピーチの中で、「ぜひ将来、旭川で世界会議を行いたい」と発言されました。そしてその世界会議の開催が昨年の10月に叶ったわけです。会議にはイタリアの巨匠であるミケーレ・デ・ルッキ氏と、建築家の藤本壮介さんを招きました。期間中にはお二方によるトークセッションが行われ、これに合わせたインスタレーション展を旭川駅で実施し、カンディハウスが北海道産広葉樹の端材を用いて製作させていただきました。

――過去と現状と、大変有意義なお話をいただきました。ついては旭川家具の今後の方向性について、どのような方向に持っていきたいとお考えですか。

藤田 当然、さらに発信力を強め、「家具の聖地・旭川」というブランドも強化していきたいのですが、今やはり大きな課題になっているのが、人口減少や市場の縮小です。当然輸出の面も大事にしていますが、ものづくりはその前に「人材」が大切なのです。この人材の確保・育成について、2024年の4月から組合では「ものづくり人材育成事業」を新たに設けました。人を育てる、人をリクルートとして呼び寄せる魅力のある産地にすること。まずこれに力を入れないと、永続性のある次の産地にはなれないと思っています。産地の経営者の皆さんも、この意識はやはり高いですね。

旭川は、ものづくりの技術が高く、国内外に人材を送り出していますので、旭川ブランドとしても強みになっています。若者が魅力を持って旭川で家具作りや家具の開発、デザインができること、家具の販売や、コーディネーションができるなど、総合的な人材の育成を、業界としてやはり強化していかないといけないと思っています。この人材育成から始めて、産地に人が集まる総合的な環境を作って、魅力ある家具産地旭川にしたいですね。

――人口減少などは喫緊の課題ですが、産地旭川としてどのような対応や取り組みがあるのでしょうか。

藤田 旭川市は、旭川市工芸センターといった市の直轄組織で、家具産業をバックアップするため、試験機関を含めた研究開発の協力体制をとっていただいています。また、旭川には高等技術専門学院があり、その家具木工部門からは人材をずっと地域に輩出してきているのです。当組合加盟企業も受け皿となっており、各企業の重要な技術者は、この学校出身の方がとても多いです。このようなことも、組合事業として一緒にアピールしていきます。

あとは、4年ほど前になりますが、北海道が旭川市に、林業のための「北森カレッジ」という最新の設備を持った学校を作ったのです。全国から幅広い年齢層の方々が入学し、1期生の卒業者は全国の企業から引く手あまたです。

また、もう一つ重要であるのが、2014年から「ここの木の家具・北海道プロジェクト」という広葉樹の利用促進プロジェクトを始めて、昨年で10年が経ちました。供給側の旭川林産組合、それを使う家具産業の家具協同組合、研究機関の北海道林産試験場と旭川市工芸センターを中心に、オブザーバーとして大学や国の森林総研の方も入った取り組みです。

北海道は世界的に見ても、優れた広葉樹がずっと生息しているわけです。その6割が国有林、1割が道有林、それ以外は民有林です。また、北海道大学や東京大学の演習林もあります。しかし、このような森林から定期的に材を伐採し使っていくにしても、使う側がナラやタモしか使わなければ、他のものは有効に活用されずチップにまわるだけなのです。

それならば北海道広葉樹利用促進研究会を立ち上げようということで、過去7、8年の旭川銘木市でどの材が、どれだけの量の需要はあるかといったことを、資料をいただいて調べていきました。ナラやタモ材以外の可能性を見るために、すべての材料を工芸センターで、曲げ強度や、接着強度など様々な試験を行い、出てきたデータを踏まえ、家具として可能性のある材料で製品を試作し、再び強度試験を実施してデータをまとめたのです。

北海道産材を使用したカンディハウスの製品

カンディハウスでは先行する形で2024年の1月から、カタログに北海道産のニレ、サクラ、セン材でのラインナップを加えました。現時点では家具組合のアンケートの結果で約70%が北海道広葉樹で家具を製作しています。この研究会を行わなければここまで踏み込めず、ラインナップも広げられなかったと思います。

――貴重なお話をありがとうございました。終わりに、新年に向かって、業界へのご提案やご提言がありましたらお聞かせください。

藤田 我々の産業は、やはり生活文化だと、ずっと思っているのです。本当に重要な生活文化の基盤になるものを、家具産業もしくはインテリア産業が作る、日々の生活の文化の質を上げることが非常に重要だと思っています。質の良いものをしっかりと日本国内で作る。新たな生活文化、日本の生活文化を維持しながら質を上げていく。我々の産業は、先進国では非常に重要な産業です。家具インテリア産業は、総合的な生活文化を担う重要な産業だということを、旭川から発信していきたいと強く思っています。

――ありがとうございました。日本の家具産業にとり非常に重い意味深い話を伺いました。