【インタビュー2025】ロゼグループ 最高経営責任者 ピエール・ロゼ 氏 Groupe Roset Directeur général Pierre Roset

大阪・関西万博のフランスパビリオンに参加

――ピエール・ロゼ会長は、今回22年ぶりの来日とお伺いしています。久々の日本の光景はいかがですか。

ロゼ 日本は驚くべき国、とても興味深い国だと改めて感じました。特に地理面。例えば、ビル、建物、道、これらの設置の仕方や大きさなどには驚かされました。このような要素を見ると、私からの視点としては、ここに日本という国の産業の強みを感じさせられました。

――今回、一番の来日目的は大阪・関西万博の視察とお伺いしていますが、視察された感想はいかがですか。

ロゼ 話題となっている大屋根リングは、やはり素晴らしいと感じました。円周約2㎞で、約2万7000㎥の木材が使われています。これは技術的にもサイズ的にも驚くべき構造物です。技術的には、京都の清水寺の建造物に採り入れられている技術も用いられていますね。同じような骨組でした。

今回の大阪・関西万博に関して、当社はフランスパビリオンを主催する企業に対し、家具の贈呈を行いました。私の個人的には、万博終了後はその家具を日本の様々なチャリティ機関に寄付してほしいと思っています。特に、ドリームベッド社の本社がある広島にですね。広島の平和のために貢献しているチャリティ団体に、寄付される流れができることが理想的です。このことは、私自身非常に大切な取り組みだと思っていますので、ぜひ実現することを心から願っています。

――フランスパビリオンに家具を贈呈されたということですが、どのような場所にリーン・ロゼの製品が配置されているのでしょうか。

ロゼ 一般の来場者の方々には大変申し訳なく、残念なことではあるのですが、実は当社が贈呈したリーン・ロゼの製品は、フランスパビリオンの中の特別なゲストルーム、プロトコールラウンジに置かれており、一般の方々が体感していただくことはできないのです。今回、フランスパビリオンのレセプション空間“LE SALON PROTOCOLAIRE”のクリエイティブ・ディレクターを務めたデザイナーのジョゼ・レヴィ氏は、日本が大変好きな方でして、ここに当社の家具を取り入れていただくことになりました。

――フランスパビリオンの中には、世界遺産の「モンサンミシェル」および、「厳島神社」の歴史的な建造物について、共通の展示コーナーが設置されました。これをご覧になった感想はいかがですか。

ロゼ 私自身、モンサンミシェルと厳島神社、この2か所に訪問したことがあり、リスペクトしている場所です。しかし実のところは、今回のパビリオンでの企画については、この2つの繋がりについて、具体的にどのような繋がりがあるのか、理解することが難しかったのも事実です。

私の個人的な考えですが、モンサンミシェルの沖ではフランスで一番の「牡蠣」が取れます。広島の厳島も、日本一の牡蠣が食べられる場所ですから、どちらかというと、「オイスター(牡蠣)」の繋がりの方が、強く見えてくると思います。

40年以上にわたる、ドリームベッドとの信頼関係

1976年に発売され、2024年 内側素材とキルトパターンを新仕様にリモデルした「ロゼカシマ2」

――ここからは、日本でライセンス製造を行っているドリームベッドさんとのお付き合いの話になります。ロゼ社とドリームベッド社は、44年にわたる提携関係を結ばれてきました。長きにわたって提携関係を結ばれ続けてきている信頼関係の源について、まずお聞かせいただけますか。

ロゼ 双方の企業にとって、とても素晴らしいパートナーシップが結ばれていると考えています。技術的なパートナーシップの面でもそうです。当社はドリームベッド社にフランスの技術・ノウハウを伝えてきました。今後も、設備や機械、製造のプロセスなどの要素を伝え続けていきたいと思っています。
商業的な面においても、当初日本でのショップ展開についてアドバイスを送っていましたが、おかげさまで現在日本には7つのリーン・ロゼショップが設けられています。当社にとってドリームベッド社は、力強いパートナーです。

日本でリーン・ロゼブランドを展開していくにあたり、やはり日本という国の言語、習慣、文化などを知り尽くしている日本の企業と共に仕事ができることは、我々にとっても大きな強みです。おそらく当社独自で、当時の日本で製品を売り出していくことは困難だったと思います。ヨーロッパ人からして、フランスから日本というのはとても遠い国であり、産業的、習慣的にも文化が異なる国です。スイスやベルギーといったフランス近隣の国と接するような感覚とは違いますから、やはり遠い国ではドリームベッド社のようなパートナーが必要なのです。

――ロゼ社は、世界で唯一、日本のドリームベッド社にライセンス製造を認めていらっしゃいますね。

ロゼ 最初に当時のドリームベッド社の代表だった渡辺兄弟にお会いした際、非常に親近感をもちました。当社と同じような体制で会社が運営されていたからです。ドリームベッド社は渡辺兄弟。当社は私ピエールとミッシェルのロゼ兄弟。このような企業ガバナンスが似ていたところから、親近感が生まれ、提携を結ぶことができたのは事実です。

当時の渡辺社長がフランスの家具展示会に来られた際、オールウレタンで作られているソファの「ロゼトーゴ」をご覧になり、「マットレスに用いていた素材を使ってソファも作りたい」という、その当時でもかなりの未来を見据えたビジョンを持たれていた方でしたので、そのような「トップの見る眼」にも惹かれ、提携を始めたのです。

当時も海外への販路を開拓していましたが、ドリームベッド社との契約が最も重要なものでした。現在は日本を除いて約70カ国にリーン・ロゼブランドの製品を輸出しており、当社の売上の7割以上がフランス以外の海外での売上です。

デザイナーのクリエイティビティを活かし、トレンドを創る

1975年に発表された「モデル500」を忠実に再現した「ロゼボニー」

――この4月には、パリの現代美術館であるパレ・ド・トーキョーで新作も披露されました。リーン・ロゼとしての、プロダクトデザインへの考え方についてもお伺いできますか。

ロゼ 新作については、日本での発売日程は未定ですので、楽しみにお待ちいただければと思います。デザインについては、時代に合わせた「トレンド」というものがありますが、我々リーン・ロゼは独自のスタイルを確立し、コンテンポラリー家具を開発しながら「トレンドを創りあげる」ということを目指しています。「トレンドに続く」ということは、ただのフォロワーになってしまいますから、そこは我々の目指すところではありません。

当社は多くのプロダクトデザイナーと契約をしていますが、こちらからデザインについての要求をすることはあまりなく、デザイナーからの提案を受け入れる形が多いです。「クリエイティビティ」というのは、それぞれのデザイナーの方々の頭の中にあるもので、当社が「このようにしてほしい」と言えるものではないと思っています。したがって、それぞれのデザイナーの仕事をそのまま受け入れるというスタンスです。

たとえば他の事例として、画家の方々に「このような絵を描いたり、塗ったりしてほしい」とは言わないですよね。作家の方々にも「このような本を書いてほしい」という要望もあまり出さないでしょう。中身についての根幹は、その人たちに任せる。これは当社の家具のデザインについても一緒です。

ただし、昨今はかつて人気のあった製品の復刻モデルをラインナップに加えつつあります。オリビエ・ロゼ、アントワーヌ・ロゼといった次世代のロゼ社のリーダーが、かつて発売していたモデルが現代に合う製品だと考え、復刻を強く推進したのです。若年層からミドル世代の方々、富裕層を中心に、これらのモデルを復刻しました。

欧州での「ヴィンテージ」流行への対応も

1971年に、当時のフランス ポンピドゥ大統領のプライベートコレクションとしてデザインされた「ロゼパンプキン」

――ヨーロッパにおいて、「ヴィンテージ」というキーワードがトレンドなのでしょうか。

ロゼ 2、3年前から、ヨーロッパで「ヴィンテージ」がトレンドとなってきました。しかしその弊害として、ロゼ社の家具で、「修復された家具」などがセカンドハンドで売り出されるようになってきたのです。それも、ロゼ社で修理されたものではなく、ポーランドなどで色々と手を加えられたものが売られはじめました。中には、当社のロゴなどを用いた模倣品なども出回るようになり、それに対して当社でも裁判を起こすなど、対策を講じています。

このような、いわゆる「紛い物」のヴィンテージが出回ると、当社が現在発売している製品と並行市場になってしまうのです。したがって、そのような並行市場を存在させるよりは、かつて人気のあったヴィンテージ的モデルをまた復刻して打ち出していこうと考えたのです。

このヨーロッパでの「ヴィンテージ」の流行がいつまで続くかはわかりません。当社としても「本物のヴィンテージ」であれば、もちろんリスペクトしますし、問題とはしていません。50年前、30年前などに製造された製品を修理して、市場にまた出していくということについては、問題とは見ていないのですが、「偽物」が出回ると問題です。この「ヴィンテージ」に対する流行は、特にフランスの富裕層などで多く見受けられます。

1973年に発売されたロゼ社を代表するロングセラーソファ「ロゼトーゴ」

――今回フェアでも大々的にクローズアップされているピエール・ポラン氏やミッシェル・デュカロワ氏が、ロゼ社に与えた影響はどのようなものだったのでしょうか。具体的なエピソードなどもあれば語っていただけますか。

ロゼ この二人のデザイナーは本当に才能がある方達でした。この方々の目指すところは、「できるだけ多くの人に、コンテンポラリー家具をもたらす」という点でした。デュカロワ氏については、彼は個性にあふれ、フランクな方でした。1973年に「ロゼトーゴ」を発表したときのエピソードですが、当時パリで有名な家具屋さんが「ロゼトーゴ」を見て、「ロゼ社はこんなモデルを出していたら、近いうちに倒産する」と発言されたのです。その方はパリでも名の知れた方で、「こんなモデルを売っているようであれば、ロゼ社は長く続かない」と言われたのです。しかし、「ロゼトーゴ」は発売以来、世界中で150万台以上が販売され、今も人気の大ベストセラーとなりました。発売以来、半世紀以上が経っています。

――最後に、日本の皆さんやドリームベッド社のスタッフの方々にメッセージをいただけますか。

ロゼ まず、日本でリーン・ロゼの製造・販売に携わってくださっているドリームベッド社の方々の取り組みは本当に素晴らしく、拍手を送りたいです。彼らの努力により、売上も伸びています。また、ドリームベッド社のスタッフの方々に加え、当社の家具を取り扱って販売してくださっている百貨店や家具販売店の関係者の方々も、当社のアンバサダーであると認識しています。お客様と直接やりとりをしていただいている方々に、感謝を伝えたいです。

ドリームベッド社はインフルエンサーなどを活用してブランディングの強化をされていますし、日本国内においてリーン・ロゼのブランド認知が着実に高まっていることは、とても良い傾向であると認識しています。日本市場においては、この売上を今後さらに拡大していけると確信しています。

――お忙しい中、多岐にわたりお話いただきまして、ありがとうございました。

(聞き手 佐藤敬広)