~古き良き時代の「喫茶店の家具」を扱う~ 喫茶 村田商會 店主 村田龍一 氏

東京都杉並区の西荻窪駅近くにある「村田商會」では、喫茶店の営業をしながら喫茶家具・食器などの買取及び販売を行うという、独自のスタイルの店舗だ。

店主の村田龍一氏は、若くして喫茶店の魅力に惹かれ、そして喫茶店の家具などを通してその歴史や文化を未来に伝えるべく、日々情熱を燃やしている。

今回はその村田氏に「喫茶店文化から見える家具」について語っていただいた。 (聞き手 佐藤敬広)

タイムスリップしたかのような、喫茶店の空間

――現在、こうして「村田商會」として喫茶店運営とレトロ家具販売を行っていらっしゃる村田さんですが、喫茶店というものを好きになったきっかけは、どのようなものがあったのですか?

村田 今から20年ほど前の大学生の頃ことなのですが、大学の先輩に「すごくいいお店があるから行ってみよう」と言われて連れていってもらったことがきっかけですね。そのお店は戦後すぐぐらいにできたお店で、今はもう閉店してしまいました。当時、いわゆるファーストフードなどのお店には行っていたのですが、あのような喫茶店に連れて行ってもらったことはなかったのです。

――数を減らしつつありますが、喫茶店の空間というものは独特の魅力があります。

村田 昔の雰囲気がそのまま残っていて、そこでコーヒーなどを飲みながら過ごすことができる。なにかタイムスリップしたかのような印象を受けて、「こういうお店にもっと行ってみたい」と思ったのです。それがきっかけで、いろいろな喫茶店を巡り始めました。当時私は練馬区に住んでいて、今いるこの杉並区の西荻窪周辺にもわりと足を運びやすかったのです。JRの中央線沿線は、昔からの歴史ある喫茶店が比較的残っている地域なので、この西荻窪、吉祥寺、高円寺などのお店に行き始めたのが、だいたい20歳ぐらいの頃のことでした。

行きつけの喫茶店の閉店と、その家具の行方

――「喫茶店の家具を引き取ろう」と初めて思われたきっかけは、どのようなものがあったのでしょうか。

村田 社会人になった24歳か25歳ぐらいの頃になりますが、当時私が何度か足を運んでいて好きだったお店がありました。ある日そのお店に行ってみると壁に張り紙が貼ってあって「今月いっぱいで閉店します」ということだったのです。そのお店のマスターと話をしていると、「この店内のものはもう全部捨てちゃうから、何か欲しいものがあれば持って行っていいですよ」とおっしゃって。それで、そのお店のテーブルと椅子をセットでもらってきたのです。

――それが契機だったわけですね。

村田 いただいたテーブルと椅子を自宅で使っていると、お店がなくなってしまったけど、「思い出の一部分が残る」ように思ったのです。喫茶店の数はどんどん減少傾向にあり、自分の好きなお店が閉店するということが何度かありましたが、ただその時にまた次から次へとそれを引き取って自宅に持ってくるわけには、置き場所の問題もあるのでできませんでした。

――閉店したお店の家具は、引き取り手が見つからないと居場所がなくなります。そのようなことが積み重なっていったのですね。

村田 お店が無くなって、そこで長年使われていた家具が捨てられるのを見ていて、なんとなく寂しいなという思いがありました。そのようなことが積み重なって徐々に、喫茶店で使われていた家具・インテリア用品というものが欲しいという人は、沢山いるのではないかなと思い始めたのです。喫茶店で使われていたようなデザインの椅子やテーブルというのは、なかなか中古のお店などにも出回っていませんでしたし、そのような家具は中古の業者の方も恐らく、「古い」「汚い」というマイナスなイメージを持ちやすく、需要が無いのかなという気はしました。

――ある意味で「喫茶店の家具」は、「家に置いてある家具」以上に、長年様々な人に親しまれ、使われてきたという歴史がありますからね。

村田 中古の家具でも、やはり新しくて状態が良いものが流通しやすいので、なかなか古いものには価値が見出しにくいのかもしれません。こういった喫茶店の家具というものは、なかなか価値がないと思って廃棄されていることもなんとなくわかってきたので、「このお店で使われていたものだから欲しい」というモチベーションの方も絶対いらっしゃると思ったのです。そのような要素をきちんと示して販売すれば、古いものでも「欲しい」と思ってくれる方がさらに増えるのではないかと考え、それまで勤めていた会社を辞めて起業することにしました。

村田商會の立ち上げ

――村田商會を設立された当初は、現在のように喫茶店の経営はされていなかったそうですね。

村田 ここの場所で喫茶店の経営も始めるまでは、実質的に家具を引き取って整備し、それを再販売するだけの形態でした。もちろん、ゆくゆくは自分も喫茶店をやれたらなとは思っていたので、仕事をしながらも何か資格を取ったり、独学ですが自分でコーヒーを淹れたりということは取り組んでいました。ただ、そのような喫茶店を開くというのは、私の中のイメージとしてはなんとなく50代や60代になってからかなというイメージがあったのです。

――それが、3年前から喫茶店もされるようになったのも、なにか理由があったのですか。

村田 ネットショップをやりながら、いろんな喫茶店の家具を引き取っていた中で、ここの村田商會の建物にもともと店を構えていた、喫茶店「POT(ポット)」というお店が閉店するという情報を聞いたのです。「POT」は学生の頃から訪れていたお店で、そのマスターはお店を畳まれるときには85歳になられていました。マスターに「この店は閉店後どうなってしまうのですか」と尋ねると、「多分壊しちゃうことになるけど、そのまま使いたいっていう人がいたら譲りたい」というような話をされたのです。

――では、その「POT」を引き継いで、今のこのお店があるわけですね。

村田 当時は喫茶店の開店というものをきちんと考えてはいなかったので、どうしようかと思ったのです。でも、喫茶店を自分がやりながら、ちょうどいいぐらいにお店の小窓の外や壁などに、これまで引き取って整備した品々を並べて販売もできると考えました。あとは、自分の実家や生まれ育ったところにも近く、とても親しみがあったので「自分がこの場所を引き継いでやらないといけない」と、思い切って決断しました。

喫茶店の継承と、長く使われた家具の整備

――以降は、喫茶店も運営されながらレトロ家具の販売をしていらっしゃるわけですが、今の時代というものは、やはり喫茶店を畳まれるところが多いのでしょうか。

村田 そうですね。日本のコーヒーの歴史を見ると、第二次世界大戦後、コーヒー豆は日本では生産してなかったので輸入ができなかったのですが、その後少しずつ輸入が再開されてその最初の頃は高級品として流通し、数は少なく価格は高い状態でした。しかし、高度経済成長期とともに1960年代ごろから缶コーヒーやインスタントコーヒーが広く流通し始め、大衆的になってきました。そして、1970年代後半から80年代前半あたりの時期に、喫茶店の数がものすごく増えたのです。当時はファミレスも現在ほど多くなかったですし、ドトールコーヒーやスターバックスなどのお店もありませんでした。その時代に30代や40代の年齢で喫茶店を開かれた方たちが、それから40年ほどたって今70代や80代となり、お店を畳まれるというパターンが多いのです。

――ある意味では、喫茶店の数が増加しすぎたその反動が、今にきているということでもあるわけですね。

村田 継承していくとしても、今後喫茶店という業態で成り立つかどうかというのはケースバイケースなのかなと思います。お店自体も老朽化しているところが多いですからね。あとは、内装や家具にしてもそうなのですが、長年喫茶店として使われていたものなので、閉店となって引き取ってきたときにはあまり状態が良くないものが一定数あります。長く使われていたぶん、タバコの臭いなどが染みついているというケースが多いです。

――今でこそ禁煙の喫茶店も増えてきましたが、一昔前はタバコが吸えるお店が多かったといいますからね。

村田 喫茶店で長年使われていた家具は、タバコのヤニによって状態が悪いものも出てくるので、例えばそのまま中古販売の一般的なリサイクルショップに持っていったとしても、そのような状態なら敬遠されるものが多いでしょうからね。きちんと商品として使ってもらえるような状態にするためには、引き取った後に臭いなどを落として清潔にしていくしかありません。

――村田商會では、使われなくなった喫茶店の家具を引き取ってから、丁寧に修繕されているのですね。

村田 この西荻窪の喫茶店店舗とは別に、倉庫も持っています。ネットショップを開いた時代からそこは使っていて、引き取ったものはそこに一度運び入れて修繕し、綺麗な状態に直しています。その後、喫茶店店舗のこちらに持ってきたり、ネットショップに出したりという流れですね。

喫茶店で使われるという「魅力」

――少し話は変わりますが、村田さんにとって、「喫茶店における家具の魅力」とは、どのようなものが挙げられるでしょうか。

村田 「今」のものにはない魅力というのがあると思います。一般的なダイニングチェアよりもちょっと座面が低く作られていることが多いので、普通の飲食店に置かれているものに座っているよりも、腰が落ち着くと言いますか、座って本を読んでほっとすることができるように「丁度いい」のです。

あとは、座面などのデザインや背板の高さなども魅力ですね。喫茶店が多く出店していた当時は、どれだけ良く内装を見せるかというような側面もあって、椅子やテーブルなどは装飾にこだわったものもありました。それぞれのお店ごとに置かれている家具は異なるわけで、またそれが一つ一つ結構個性があるのです。ちょっと話を聞くと、合羽橋でそのような喫茶店用の家具を買ってきたという話も聞きましたし、大量生産といいますか、喫茶店向けにある程度の数が作られていたのかなと思います。

――村田さんは、喫茶店を巡られていたころから、家具の製造会社などはどれぐらいご存知だったのですか?

村田 それがあまり知らなかったのです。「カリモク」の名前も知らないぐらいでした。もちろん今では様々な家具を扱うので知識は増えました。喫茶店における家具のブランドという視点でお話しすると、喫茶店では椅子やテーブルは決して主役ではありません。やはり、出てくる料理だったりサービスだったりというのがお店の主役だと思うので、そこに置かれた家具というものはそこの空間を作る一つにすぎないのではないかと思います。そのような位置づけであるから、あまりブランドという感じを押し出されてくることがなかったのかもしれません。

――村田商會で扱っている椅子などの家具は、どのメーカーのものか分からないものが多いですか?

村田 ロゴやラベルがついているものなら分かりますが、全くそれが無くてメーカーが分からないものが多いです。ただし、当店の商品を求めてくださる方々は、「メーカーやブランド」で商品をお求めになるのではなく、「馴染みのあのお店で使われていた家具だから」といった理由でお求めになる方が大半ですね。基本的にメーカーやブランドはあまり気にされていません。

あとは、若い世代の方でお店を始められるとか、ちょっと家具を買い替えたいてという方がまとめて買っていただくパターンも結構いらっしゃいます。お店というのも、喫茶店やカジュアル的なレストランのようなお店が多いです。

――やはり、自分の求める理想の空間をつくるために、昔ながらのスタイルの家具を求める層も一定数いるということでしょうか。

村田 安く中古で安く揃えたいというよりも、お店の雰囲気を形作るために、味わいのあるもので揃えたいという理由で家具を探した結果、当店で買っていただくパターンが多いです。そのようなニーズというのは多くありますし、個性のある飲食店など、全国からいらっしゃりますね。

――海外などからも注目されているのでしょうか。

村田 中国の上海や台湾などは、昔の日本の旧植民地時代の文化がまだ残っているところがあるらしく、そのようなお店の雰囲気が好きだという現地の方々もいらっしゃります。私と同世代の方でもそのような方がいて、日本式の喫茶店を現地で作りたいということで、コロナ禍になる前ですがわざわざ日本にやってきて買っていただいたケースもありました。商品の価格よりも、輸送費の方が高くつくのではないか?といったものもありましたね。

喫茶店の文化や歴史を残していくために

――最後になりますが、村田さんは、今もこうして家具の魅力を発信されているわけですが、これから作られていく「新しい家具」が長年愛されて使われていくためには、どのような要素が大切になるとお考えでしょうか。

村田 家具を選ぶという点においては、プライベートの生活の面で考えると、やはりどうしても安くて買いやすいものを選ぶ方向に向かうのかなとも思います。安くて気軽に買えるものが台頭してきていますし、逆に「しっかり長く使える家具」というものも当然大切ではあります。ですが、やはり私は、何か「個性」あるものであれば、ある程度価格が高くても求めてもらえるのかなという気はしますね。そういえば3年ほど前にコメダ珈琲が、何かの懸賞に応募すると「コメダ珈琲の店舗で使われているソファが当たる」というキャンペーンを行っていたことを思い出しました。「お店で使われているものと同じようなソファ、家具類を自宅に置きたい、揃えたい」という需要もあるわけです。

――お店で使われているという要素が、ブランド価値にもなり得るというわけですね。

村田 家具を作っているメーカーさんが「喫茶店の名店○○で使われていたモデルを、マスターの○○さん監修のもと復刻しました」などのように、昔使われていたようなものを復刻する取り組みを行ってもいいのかなと思います。今ではあまり見かけないツートンカラーのソファのデザインなどは「個性」がありましたから。復刻することで、たとえ喫茶店のお店そのものは無くなっても、家具としてそのお店の歴史や名前は世に残ります。そのような文化や歴史というものにも着目すると、また違った視点で家具を見つめることができるのかなと思いますし、頑張っている喫茶店の方々にとっても励みになるのではないかと思いますね。

――お忙しい中、どうもありがとうございました。「喫茶店の家具」という、歴史や人々の人生を支え続けてきた家具を扱う村田さんのお話は、家具の在り方というものについてまた新たな視点を示してくださるものでした。貴重な時間を割いてお話いただきまして、ありがとうございました。