~時代和家具を今に伝える三代目(上)~ アンティーク山本商店 代表 山本明弘氏 (“Antique-Yamamoto” Owner Akihiro Yamamoto) 

【受け継がれる三代目までの歴史 様々な和家具との出逢い】

――アンティーク山本商店は、現在山本さんで3代目。昭和20年の創業と歴史のあるお店ですが創業のきっかけを教えて頂けますか?

山本 アンティーク山本商店は、戦後の年1945年に創業しました。戦前は僕の祖父が特別高等警察という仕事をしていたのですが、GHQが入ってきて解雇されてしまったのです。創業は終戦の年の12月になります。

――本当に長い歴史があるお店なのですね。最初は今のように和家具の販売はされていなかったそうですね。

山本 祖父は昔から古い物が好きだったらしく、最初は和服や生地を近所から買い取ってお店に並べていました。知り合いに和服や生地に詳しい方がいて、その方に相場表を書いてもらって、相場表を見て持ち込まれたものを買取して販売していたのが創業当時の山本商店の販売形態でした。今の様に和家具に特化したお店になったのは、父の代からです。古物商の業界の中でもクオリティーはすごく高いけどあまり目を付けてなくて、尚且つリーズナブルに手に取れるものと考えた時に和家具が浮かんで。昭和30年代くらいまでの比較的一般の家庭でも使われていましたが、探すとなかなか無い和家具に特化したお店になりました。

――現在の山本商店の経営スタイルもその頃から始まったのでしょうか。

山本 そうですね。父が仕入れをして、祖父が修理をしたら店に置いて販売する。お客様がご購入されたら父が配達する。この流れは60年経った今もずっと続いています。だから小さい頃はよく祖父が和家具を直す姿をずっと見ていましたね。

――山本さんがお店を継ごうと決めたきっかけを教えてください。

山本 実は、最初は店を継ごうと考えていなかったのですよ。だから、就職活動もして内定も取っていました。でも父が腎臓の病気を患ってしまい、現場から離れなければいけなくなったのです。そんな父を見て、お店をやってみようかと考えたのが大学3年生の時でした。免許を持っていたのが私だけだったので、祖父を助手席に乗せて買取や配達、市場を回っていました。そうすると、だんだん面白い仕事だなと思ってきたんです。全て一点ものですし、何が出てくるか分からないワクワクした気持ちや、それを購入されたお客様の喜ぶ顔を見ることができる。もともと就職先にも百貨店を志望していたくらい物流には興味があったのですが、生産からエンドユーザーの方に物が流れていく様子を目の当たりにして、これは面白いなあと。そのようなわけで、内定も全部お断りして、大学4年生の時から仕事を始めました。父も私に任せてくれたので、三代目なりに改革をしながら少しずつ進め、今に至ります。

――具体的にどのような改革をされてきたのでしょうか。

山本 祖父の頃から直しを施すのが山本商店の一番の特徴でした。当時は個人事業の小さなお店なので祖父が直していたのですが、私の代になって他人の力が入らないと、なかなかお店は大きくならないと思い、25歳の時に個人事業から会社に形態を変えました。修理については、祖父から直接教わったことにアレンジを加えて私一人で行っていましたね。人に頼むときに、自分がある程度できていないと困るじゃないですか。なので、人を雇う前に全部私が行っていたのですが、人を採用した時に初めて、修理について教えるようになりました。

――それでは逆に初代からずっと大事にされていることはありますか?

山本 祖父の頃から「薄利多売」を大事にしています。一点儲け主義ではなく、一つの物に対して利益を薄くして、たくさんの物を販売して利益を得る商売の仕方を徹底しています。それから、職人が直しを施してから普段使いで利用できる状態にして販売をする。その点については他の店との差別化でもあります。

――差別化として他にもされていることはあるでしょうか?

山本 経年劣化が激しいものや状態が悪い物も仕入れないと在庫も集まらないので、ある程度の品数は手がけているのです。その分修理の手間も時間もすごくかかるのですが、それでも手は絶対に抜かない方針でやっています。当店のようなアンティーク店の明暗を分けるのは、その部分なのではないかなと思っています。修理する職人の技術力がどれだけ向上できるかと、薄利多売でいかに商品を集めて安く販売できるかが、明暗を分けると思いますね。

――店を受け継いで、三代目としての悩みはあったのでしょうか。

山本 私が22歳くらいのときに店を受け継いだのですが、その時には祖父は50年、父は35年店をやってきたいたのです。だから、私が何か店を変えようと思うと、極端ですが2人の人生を否定するくらいのエネルギーが必要でした。それほど、歴史があるお店を変えていくことはとても大変なものでしたね。店を変えるため、祖父や父に「これはダメだよ」と言うのではなく、「売り上げがこれくらい上がった」と、帳簿を見せるようにしていました。理屈ではなく結果で攻めれば、祖父もぐうの音も出ないと考えたからです。葛藤もありましたが、徐々に二人も認めてくれて少しずつ僕にお店を任せてくれました。あるものを変えて、それがお客様に受け入れられて数字が上がる様子は、見ていて楽しかったですし、面白かったですね。

――企業ごとに、様々な先代と二代目、三代目の形がありますからね。

山本 私の場合は、父が病気を患ってメンタル的にも弱気になっていましたし、祖父もその頃は80代で高齢だったので、そう考えると「店を変えていく」という環境にはいいタイミングだったと思います。数字で結果を見せていったことで納得して任せてくれたので、割と好き勝手をさせてもらえました。体も健康で実績もあったので(笑)。山本商店は祖父母と父でやっていた町の小さな古道具屋さんだったので、私の代からでも色々なことを変革することができたのは、とても恵まれていたと感じます。

――今のこの店舗の形態になるまでは、何年ほどかけてこられたのでしょうか?

山本 仕事を始めて8年目、私が31歳の時にようやく今のこの形になりました。父は60歳で亡くなったのでこのお店を見せることは叶わなかったのですが、祖父には見せることができました。その時に「おじいちゃん、ここでまた仕切り直してやるからね」と伝えたら、とても喜んでもらえましたね。その40日後に祖父も亡くなったので、本当にギリギリでしたが、お店を祖父に見せることが叶いました。

――先代、先々代の意志が着実に受け継がれてきていることが、お話を伺って感じます。先ほど修理はアレンジも加えて行っているとお話されていましたが、具体的にはどのようなことを行われていたのでしょうか。

山本 祖父は手先が器用だったのですが、家具の構造までは理解せずに修理をしていたんです。そんな祖父を見ていて、「家具の構造が分からないと直せないだろう」と一番に思ったんです。私自身も最初は右も左も分からなかったので、一度家具を全部バラバラにして、どういう構造で作られているかを見ました。構造を理解できないと、壊れないためにはどう修理すればいいのかは分かりませんからね。

あとは表面の仕上げについては、祖父は染料の茶粉や黒粉を水で溶いてハケで塗って、その上からニスを塗っていたのですが、私はそのやり方は少し違うんじゃないかなと思っていたところがあって。塗料屋で色々見てみると、オイルステインと言う、色つきのシンナーのような塗料を見つけたんです。これの方が良いだろうなと取り入れると、バリエーションの幅が増え、色の濃淡もつけられるようになりました。それでもハケ塗りだけは、祖父の代からずっと継承していますね。

――修理の際のこだわりはありますか?

山本 日本の古い家具は、ツヤの加減が絶妙なのです。新品を売っている訳ではないので、あまり綺麗にしすぎずツヤは出しすぎないこと。パッと見て、「いい味していますね」と思ってもらえることを、大切に守っていきたいと思っています。例えばちゃぶ台の場合は、天板にタバコの焦げや湯呑を置いた時の丸い跡が残っていることがあります。技術的にはきちんと新品のように綺麗にすることはできるのですが、しかしそれはアンティークを販売している店が行うことではないと思っています。箪笥の引戸や引き出しなど、機能的に動作するところは指一本で開け閉めできるくらい軽くするなど徹底的に修理します。ですが表面は、その家具が生きてきた歴史とアンティークの良さを残して、味を出した仕上がりにすることがこだわりであり、山本商店の特徴です。

――長く使われてきた家具は、タバコの匂いなど、家具に染み付いた匂いの問題もあるかとは思いますが、どのように対処されていらっしゃりますか。

山本 タバコの匂いはたまにありますね。他にも、ドクターキャビネットなどの医療戸棚は薬の匂いがすることがあります。その場合はまず陰干しをして、その後ラッカースプレーをかけてコーティングすると、多少の緩和はされます。しかし、100%きちんと消臭というものはなかなか難しいんです。特に漢方を入れる薬箪笥は、漢方を入れているので匂いがすごいんですよ。ですので、医療戸棚に関しては、お客様に対してこちらから予め匂いについてお話しするのですが、「それが医療戸棚の良いところだから」と仰ってくださる方が多いです。

――仕入れは一日にどれくらいあるのでしょうか。

山本 その日その時にもよりますね。店内の7、8割は一般のご家庭から仕入れており、多い時は土日で6、7軒伺っています。依頼が来たら、直接お伺いして拝見させて頂いて、その場でお値段をお伝えしてお支払いしています。10年以上は仕事をしないとなかなかできないような内容なので、買取専門のスタッフや私が行っています。仕入れのルートは色々で、月に何度か古物の競り市で仕入れることもありますね。

――実際にどのような家具を仕入れることが多いのでしょうか。

山本 それについては本当に「行かないと分からない」のです。あるお客様のケースでは「全然大したことないよ」と言われていたのでワンボックスカーで訪問すると、実は家一軒分の家具があったので、急遽トラックを追加で2台用意して4人がかりで一日かけて仕入れてきたことがありました。また、他のあるお客様からは「覚悟して来てね」と言われていたので恐る恐る伺ったケースでは、婚礼箪笥がずらっと並んでいたこともありました。しかしそれはお引き取りができないので、手ぶらで帰ることもありましたね。仕入れは水物なので本当に分からないものなのです。その分、良い家具を仕入れることができると嬉しいですよ。

――その時その時で、巡り合える家具が異なるのは、楽しみでもありますね。

山本 この商売の良いところでもあり、大変なことでもあるのですが、私も「明日の仕入れ」に何があるのか分からず、お客様にいつどんな物が店に入るかをお約束することができないのです。従ってお客様側も、あまり具体的な物が欲しくて来店されるというよりは、ふらっと「何かないかなあ」と訪れる人の方が多いです。「今日箪笥買うつもりだったのに、気が付いたら机を買っていた」というお客様もいらっしゃいますね。仕入れも施しも毎日行っているので、足しげく通っていただいたほうが色々な商品に出会えるんです。全てが一点ものなので、1カ月ぶりくらいに来られたお客様などは「ずいぶん店内が変わったね」と仰りますよ。

下に続く

アンティーク山本商店

〒155-0031 東京都世田谷区北沢5-6-3

小田急・東京メトロ:代々木上原駅から徒歩約10分

小田急・京王:下北沢駅から徒歩約10分

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