【LIVING&DESIGN(リビング&デザイン) 2024 特別インタビュー】プロダクトデザイナー 喜多俊之氏 暮らしや伝統が果たす、日本の次の産業経済の行方を考える、素敵な暮らしの普及とは

――今年も、ミラノサローネを訪問されていたそうですね。まずは今年の展示内容について、喜多さんがご覧になられた感想をお聞かせいただけますか。

喜多 今年の来場者は37万人超ということで、昨年に比べ2割増しと過去最高の来場者数を記録したようです。
ミラノサローネ、フォーリ・サローネの総称であるミラノデザインウィークの会場として、市街全体が賑わっていたことが、これだけ多くの動員に至った理由の一つだと思います。

ミラノ中心地ドゥオモ広場近辺も多くの人で埋まった
ミラノサローネ記念コンサート(ミラノスカラ座)

コロナ禍以前よりも、来場者が増えていますが、これは家具のみならず、暮らし産業に関わるメーカーがショールームなどを開放しているのが理由の一つです。キッチンのショールームでも新作の発表会を行っていますし、家具メーカーはサローネ会場のみならず、自社のショールームでも個展を開いています。照明器具の企業などもそうですね。もともとは家具の見本市であったのが、今や「暮らし全体」の見本市になってきました。ミラノ市としても街の一大イベントとして、フォーリ・サローネを重視しているのだと思います。

会場のミラノ大学 会期中の風景。連日、多くの人が並んだ
今年創刊70周年を迎えたINTERNI誌記念号の表紙
INTERNIオープニングセレモニー

――今後は「多様性」がキーワードになっていきつつありそうですね。

喜多 このような時代にふさわしい製品開発のため、出展各社は模索をしているといった印象を受けました。従来とは異なり、変化に富んだ会場構成だったように思います。オリジナリティの高いショールームもありました。まさに暮らし全体ですね。来場者の年齢層の幅が広くなってきていると感じました。

これまでもサローネ期間中の会場には、出展社がブースを設営していましたが、市内のショールーム自体が来場者の関心を惹くようになってきました。市内のショールームは誰でも入れますから、年代や業種関係なく、様々な方が来るようになっています。先ほども述べましたが、これからは「家具」だけでなく「暮らし全体」を素敵なものにしていく、そのような印象を受けました。

例年ですが、市内のミラノ大学でも、INTERNI誌が大きなエキシビジョンを開きました。今回、私がキュレーターを務めたのは日本の伝統工芸の出展です。今年は岡山の「備前焼」、秋田県の「曲げわっぱ」を出品、「千年を未来へ」というテーマで、日本の伝統工芸を未来のものとして繋いでいこうという意図です。40メートルに渡る、大掛かりな会場構成で、大変好評をいただきました。

――現地の人々からの反応はいかがでしたか。

喜多 想定していた以上に反応は良く、現地のメディアなどにも大きく取り上げていただきました。ただ単に「未来に繋いでいく」というよりも「過去の優れたものも、未来に繋いでいくことができる」という展示構成を示した影響かもしれません。現地の人々からもSDGsの観点からみて、非常に納得していただけました。

日本の伝統工芸品は、現地のヨーロッパの人々の価値観のもとで受け継がれてきたものではなく、日本の価値観や歴史の中で受け継がれてきたものです。私はそのような要素に目を向けながらも「次の”日本”も、どこかにあるはずだ」という思いでキュレーションしました。国際的にも第一級の高いクオリティが受けたようです。

ミラノ大学の会場風景

岡山県備前市 備前焼
秋田県大館市 曲げわっぱ

――今回もミラノサローネには日本の企業が多数出展しましたが、日本企業と海外企業のプロダクトについては、喜多さんから見てどのように映りましたか。

喜多 遠目に見ると違いは感じないのですが、やはり細部を見ていくと、日本と海外では違いがあります。全体を通してみると、日本のメーカーはさらに「オリジナリティ」のあるプロダクトを輩出していくべきだと感じました。これは「和風」という意味ではありません。

ミラノサローネ国際家具見本市の会場

――海外の人々からみて、日本で作られた家具というのは、どのような立ち位置、認識で見られているのでしょうか。

喜多 ヨーロッパの人々からは、日本らしいオリジナリティも求められているようです。前述の備前焼や曲げわっぱは、西洋発祥のものではなく、日本の文化と素材が由来です。椅子などは洋家具ですから、ヨーロッパに目を向けて商品開発を進めてきたという要素はあると思いますが、私はそれだけではなく、これからの道もあるのではと考えています。製作の方法やデザイン、そして素材。これらの要素を組み合わせたオリジナリティを前面に出していくことも大切ですね。日本はクオリティの高い製品を作ることができると思います。

今年のサローネはキッチンを特集。「エウロクチーナ」ブースには多くの企業が出品

――これまでも、これからの日本に素敵な暮らしを普及されるため、様々な活動に取り組まれてきました。しかしながら同時に、日本と海外・特に近隣の韓国などとは、その暮らしの豊かさに差がつき始める程、住空間政策が成功し始めている感があります。外国と差がついてしまった要因は一体何なのか、そして今後一般ユーザーにどのように「素敵な暮らし」を啓蒙していけばよいでしょうか。

喜多 日本は明治時代以降、西洋の文化が広がっていきました。その後、大戦が起こり、第二次世界大戦では焦土と化してしまいました。そのため、多くの街の復興に時間がかかりました。イタリアやドイツは、日本のように焼け野原になるまでには至らなかったので、復興のスピードも日本と比べると速かったようです。

ハードの復興と「暮らし」というソフトの復興。特にハードの復興については、インフラとしては早くに立ち直ることができたのですが、「自宅で家族以外の人との交流ができる」というソフトの復興は遅れてしまいました。自宅は「サロン」であり、交流の場でもあるのです。「自宅をサロンにする」ということについて、地域によっても差はありますが、戦後、日本は未だに一般化できていません。それにより住環境である室内そのものへの需要の質の活発化が経済産業の土台として、本格的な動きに至っていないことが気がかりです。

しかし今、述べてきた要素を突き詰めていけば、今後の経済産業が生きる道は、暮らし産業の役割にもあるのではないかと考えられます。「暮らし」というものは「マーケット」と「生産」を生み出します。暮らしを活性化することが、経済産業の活性化につながると思います。

人が集まるリビングのしつらえ
会場には人々が寛ぐスペースが幾つもある

――暮らしの活性化というお話をいただきましたが、韓国や中国は、日本と比べると注力してきたということでしょうか。

喜多 韓国や中国は住宅の広さや住まいの質が近年、大きく変わり始め、住まいの活性化が進んでいます。キッチンメーカーなども、ヨーロッパと同じような製品展開が始まっていますね。先ほど述べた「自宅をサロンにする」ということ、つまり友人などを家に招くといったことが増えてきたように思います。国を挙げてデザイン国家を目指しています。それらが経済産業の活性化の原点になるということを意識されているようです。

2010年頃、デザインを「新資源」として扱い始める中国

――そのような暮らし文化を、日本も築き上げていかないといけないわけですね。

喜多 そうでなければ、家具の消費や輸出も加速していかない。私たちの暮らしや家具の質を上げていかなければ、海外にも薦められないですよね。これも先ほどの話と関連しますが、日本の家具を輸入したいという海外バイヤーは、オリジナリティを欲しています。その製品の価値・値打ちで勝負できるようになることが重要だと思います。

――さて、今回も9月にトータルインテリアの見本市「LIVING&DESIGN」を開催されるわけですが、喜多さんが考える今後のインテリア提案の在り方、今後の展望などをお話いただけますか。

喜多 着実に、日本も素敵な暮らしが浸透していくということを前提にしながら、会場構成を広げていきます。出展社も積極的になっていただいていると思います。ミラノサローネと同様、家具だけでなく暮らし全体の提案ができるような、そのような見本市を目指して取り組んでいくのも一つの方向です。

――木材を使った家具のデザインコンペですが、毎年開催を重ねられているなかで、クオリティの変化などはどのように捉えていらっしゃりますか。

喜多 回を重ねる度に、非常に賑わってきていると感じています。入賞作品の中でも、世界に出ていくことができるような製品は増えてきていると思います。応募作品のクオリティも年々高くなってきて、海外に負けていないと思います。

2月に開催された東京ギフト・ショーLIVING & DESIGNでは「木材を使った家具の
デザインコンペ」昨年度の受賞作品が展示された
サローネサテリテに出品した大阪芸術大学の学生とSDGsをテーマにした作品

――世界というフィールドの中で、「日本人がデザインするということの強み」は、喜多さんからはどのような面が挙げられるでしょうか。

喜多 まず日本は、「家の中で靴を履かない」文化があります。ここが欧米とは大きく異なる要素です。日本人が座るときは、何かに腰掛けるだけでなく、地面や床にも座りますよね。ある意味、欧米よりも日本は「自由自在」なのです。ひょっとしたらこのような文化も、海外に輸出できるかもしれませんね。もっと根本的なところから、日本独特の発想を海外に出していけるのではないかと思います。自然や木の素材を活用することに関しては、日本には独自の文化があります。

座ったり、寝転んだり、自分の場所を探すことができる。猿山のようであることからネーミングされた、1989年イタリアMOROSO社より発表「SARUYAMA」

――喜多さんはこれまで、海外の有名メーカーのプロダクトなどを数多く手掛けてこられました。海外メーカーのプロダクトをデザインする際には、「日本人である」というアイデンティティは切り離して、デザインに臨まれるのですか。

喜多 そうですね。これは「ひとりの人間として手掛ける」という意識です。国籍などについての意識はしていないですね。もちろん「これ位の年齢の方々なら、このような動きをするだろうから、このようなデザインがいいだろうな」といった要素を考えながらデザインしています。

海外と比較すると、日本のマーケットというのは特殊です。靴を履かない文化ということは、海外と比較すると2㎝ほど、椅子の高さを低く設定できます。ソファによじのぼることも可能ですからね。私も幼少のころからソファによじのぼっていましたから、デザインするにあたっても自然とそのようなアイデアが浮かんできました。

ミラノサローネ国際家具見本市「エウロクチーナ」ブース

――最後に、家具づくり、デザインに取り組まれている方々などにむけて、メッセージをいただけますか。

喜多 日本は明治維新以降、東洋の考え方に西洋の考えが合わさって今に至りますが、東洋と西洋の考え方をうまく合わせたプロダクトもできれば、非常に面白いと思います。マーケットは常に変化していますから、日本の企業は、世界の人々が使いたいと思えるようなオリジナリティあふれる製品を作れると思います。とても楽しみにしています。

(聞き手 佐藤敬広)